「おじさん」という存在

 こんにちは。

寒いですよねぇ。おまけに雪と風。

こういう日は、冷たい風が路面を凍らせます。車の運転には是非お気をつけ下さい。

 

 さて、先日、山田洋次監督の新作「おとうと」を観て来ました。

監督にとっては10年ぶりの現代劇。「十五才 学校Ⅳ」以来ということです。

「おとうと」の主演は吉永小百合さんと、笑福亭鶴瓶さん。

吉永さんは、東京の郊外で小さな薬局を営みながら、女手一つで娘を育て上げてきた

しっかり者の賢い姉を演じ、鶴瓶さんは大阪で何ひとつ成し遂げないまま歳を重ねてし

まった、自称旅役者で愚か者の弟を演じておりました。(まるで、自分を見ているようでした)

観た感想はといいますと、素直に「よかった」です。

そして「おじさん」というのは、やっぱり「かけがえのない存在」なのだなぁと、思いました。

 

考えてみれば山田監督の映画では「おじさん」が重要な役まわりを演じている作品が多い

んですよね。「男はつらいよ」の寅さん(渥美清)、「幸福の黄色いハンカチ」の勇さん(高倉健)、

「学校」のイノさん(田中邦衛)など、世間から爪はじきされ、身内からは厄介者として扱われ

てしまうような、存在です。

寅さんは「テキ屋の渡世人」、勇さんは「出所したての殺人犯」、イノさんは「最下層労働者」

です。いずれも、世間か疎まれたり馬鹿にされたりしております。

大人たちからすれば、「へんな事を憶えるから」といって子供を近づけたくはないような人々です。

しかし、この人たちは「少年」や「青年」から好かれ、彼らの「人生にとって、とても大事なもの」

を、生きざまや死にざまを通して「それとは知らずに」なぜか、教えてくれるのです。

今回の「おとうと」も同様でした。

自称旅芸人ではあるものの、殆ど「住所不定無職」のおじさん(=おとうと)が、騒動を起こし

死んでゆくまでの間に、自分の結婚式を台無しにしたうえ騒動ばかり持ち込む「おじ」を毛嫌い

していた姪(蒼井優さん)に、「人生にとって、とても大事なもの」を教えてくれるのでした。

そこに、「教え」などというものはありません。

一緒にいると「分かる」というようなものなのです。(自分で何を書いているのか分かりませんが)

 

 「おじさん」たちは、両親の言うこととは「まったく違う、価値観の矛盾すること」を言います。

子供はそこで、「どちらが正しいのか」と葛藤することになる訳ですが、

少年や少女にとって「どちらが正しいのか」と葛藤することが、子供の成熟にとっては重要なんで

しょうね。(内田樹さんがそうおっしゃるので間違いないと思います)

私にも、そういう「おじさん」が何人かいました。親からすると「めちゃくちゃな事を言う人」なので

親には「あんまり、会いに行ってはいけません」と、叱られましたが、こちらとすれば「おじさん」と

いると楽しくて仕方がないんですよね。

だから叱られても、怒られても、たびたび会いに行くことになります。

「おじさん」が興味を示すもの、「おじさん」の食べるもの、「おじさん」の部屋の本棚にあるもの

が、いちいち面白くてたまらない。

見るもの、接するもの全てが新鮮で「世の中にはこんなもののあるのだ」と知ることになります。

「おとーさん、おかーさんの言うこととは違う!」とか・・。

親の価値観だけに囚われていたら「けっして遭遇することのできないもの」にアクセスすることは

できないんですよね。

「おじさん」というのは、子供にとって、知らない別世界の「扉」を開いてくれる存在です。

これは、実体験があるので間違いないように思います。

 

私ももう「おじさん」ですが、いまでも「おじさん」を求めています。(いい歳ですが、ホントです)