大人はみんなおなじことをいう

 こんにちは。

いやぁ、昨日のモーレツな風には参りましたね。恵み野でも、風に煽られた大きな看板が

根元からポッキリと折れ、バタッと倒れ、グルっと回転し、ダーッと地を這い、大凧のように

ウワーッと空を舞ったかと思うと、県道を越え、住宅街へ飛んで行ってしまうという「あわや

大惨事」がありました。(擬音ばかりですみません・・)

しかし、本当にラッキーでした、まずはたまたまその看板の前に私がいたという事、そして

私はその看板の風上にいたということ(看板の下敷きにならずにすみました)、県道に看板

が飛び込んだ時にたまたま通行人と車が通らなかった事、ひとりで大凧のような看板を追い

かけ、そして捕まえ、ゴーゴーと吹きすさぶ風の中、道具も携帯電話もない中で看板が飛ば

ないように必死で抑えつけながら「これからどうしよう?」と途方に暮れていたところ、住民の

方がたまたま通りかかり助けて下さった事など、幸運が重なりました。(ありがとうございました)

良い事は重なるものです。

しかし、肝を冷やし、参りました・・。

だから、ビールが腹にしみました・・。

 

 さて、今、古本屋でたまたま見つけた河合隼雄さんの「子どもの宇宙」を読んでいるのですが、

この本の冒頭で紹介されている子どもの詩が傑作で、一遍で気に入ってしまいました。

ひとつ目は・・

  かみさま(タイトル)

      やましたみちこ

 かみさまはうれしいことも

 かなしいこともみています

 このよのなか

 みんないいひとばっかりやったら

 かみさまもあきてくるんとちがうかな

 かみさまが

 かしこいひともあほなひともつくるのは

 たいくつするからです

 

もうひとつ・・

 

  おとな(タイトル)

      中谷 実

 だれか人がくると

 ぼくを見て

 「大きなりはったね」

 「もう何年生です」

 「こんど三年」

 「そう早いもんね、

 こないだ一年生やと

 思っていたのに」

 といってあたまをなでてくれる

 おとなは

 みんなおなじことをいう

 

いいと思いませんか。非常によく本質をついていて、それが素直で純粋な気持ちから出たもの

だということが、飾らない関西弁によって強調されています。

この「おとな」という詩を書いた子は、「どうして大人はおんなしことばっかりいわはるんやろ?

なんかほかのこときいてくれへんのやろ?」くらいに常日頃から思っていたんでしょうね。

確かにその通りですよね。

私も、こどもを前にすると、毎度同じ事しか話せません。

「いくつゥ?」

「何年生ェ?」

「お名前はァ?」

せいぜいこの3点セットでしょうか・・。情けないですよねぇ。

考えてみたら、自分が相手からこの程度の質問しかされなかったら「なあんだ、俺に興味ないのか」

と鼻白むに違いありません。女性なら尚更、「あたしって、たったそれだけなの?」でしょう。

質問の量というのは「自分への関心度のバロメーター=魅力」でもあったりしますから、子どもだか

らといって、適当に扱ってはいけないんですよね。そのことが少し分かったような気がしました。

しかし、何を話せばいいんでしょう・・。(う~む・・)

ちょっと、まじめに考えてみたいと思います。