「ガラパゴス化」でいいのかも

 こんにちは。

夏休みになると毎年、NHKのラジオでやっている「子ども科学電話相談」が楽しみになります。

もちろん、仕事をしながらの「ながら聴き」ですから、熱心に耳を傾けているという訳ではないの

ですが、時折聞こえてくる子どもたちからの鋭い質問を耳にすると、しばし仕事の手を休めるこ

とになってしまいます。そして、「ほとんどの質問に自分が答えられないこと」に気付かされ、

「情けないなあ」と思わせられることになります。

しかし、これがいいのです。

子どもたちの質問は「当たり前すぎて、疑問にも思わない事」が多いのですが、そういう「当たり

前過ぎて疑問にも思わない事」を、一年に一度くらいは考えてもいいのではないかと思うからです。

そして、これは子どもの力を借りないとできないんですね。

なにせ、「自分では疑問にも思わない」わけですから・・。(トホホ・・)

皆さんも、どうぞ聴いてみてください。面白いですよ~。

 

 さて、最近「ガラパゴス化が云々」がなにかと問題(話題?)になっておりますが、このことについ

て、平川克己さんが先日のブログで興味深い事を書いていらっしゃいました。(以下こんな文です)

 

ほんとうのグローバル化とは、世界がフラットになるということではなく、世界中がガラパゴス化して

個性化することだとおれはおもうのである。

重要な事は、それぞれのガラパゴスが文化的に等価であるということ。

等価であることと、フラットであることは似ているようだがまったく違う。

世界のガラパゴス化こそが多様性の別名なのである。多様性を確保することの重要性をおれは常々

主張しているのだが、多様性とは時間がかかり、少数派への配慮や尊敬というものが必要であり

効率化の対極にある概念である。

現在進行中のグローバル化とは、世界を一つの市場にした方が、効率的であるという資本の論理の

先端で起きている現象だろう。

 

なるほど、その通りではないかと思いました。そしてこれは、なにもグローバルなことばかりではなく、

日本国内においても、同様の事ではないかとも思いました。

その一つの証左が「日本国中どこへいっても同じ風景になってしまったこと」です。

ロードサイドにはコンビニ、チェーン店、ショッピングモールが軒を連ね、国道をどこまで走っても殆ど

風景には変化がなくなってしまいました。

このことは、住宅団地も然りで、どこのニュータウンも位置関係以外の差異というものがなくなってし

まいました。

その結果として、地方は「つまらないもの」になってしまったと思います。

もしかすると、もう「地方は遅れている」とか言うこと自体が「遅れている」のかもしれません。

かつて(今も?)、コンビニやファストフードのお店がないことが「遅れている」とされていた時代があり

ましたが、「そういう考え方が、そもそも、もう遅れている」という訳です。

(わざわざ遠くまで出かけた時に、いつものチェーン店でご飯を食べる時のつまらなさは、だれしもが

感じることではないでしょうか・・・)

 

どうも、うまく言えませんが、私個人としては「国内もガラパゴス化でもいいんじゃないのかなぁ、その

方が違いが際立って面白いだろうし・・」と、思う訳であります。(どう思われます?)